現実なんてこんなもの -3ページ目

ビールとソーセージで満たされる秋

 もぅ向いてない、やめてしまおう。
 と、煮詰まった佳境の現場を後に、朝の首都高にのって成田へ。10日も現場を離れたら、戻ってきたとき復帰するのが大変だろうなぁ、とは思うものの、これもまた仕事、と無理矢理自分をいいくるめて飛行機に乗る。旅の仲間はみんなで6人。それでも、日本語勢力がだんだん弱まってくるころ、ようやく深い眠りにつく。みんなごめん。いなくてごめん。

 短期間の間だから、しょうがないよ。みんなでフォローするから、と云われつつ、釈然としない気持ちが残る。別の仕事で一定期間チームを抜けるのは、わたしの落ち度なのだろうか。頭を下げて、迷惑を謝りつつ、よりいっそう気を使わなくちゃならないもの? 毎日胃薬と眠れる薬と目覚める薬をかじりつつ、いったいなにをしているのだろう。どうしてそこにいるのだろう。

 ここにいるのは、もう今年で最後。そう思いながら、異国の地に立つ。一日はたらく。日本のみんなは、きつい締め切りに向かって進んでる。わたしにできることは、胃をいためる他にはあまり、ない。むろん現場にいたって、それは変わらないけど、少なくともみんなの怨嗟の声を聞くことはできる。力及ばずごめん。みんなたいへんでごめん。

 もう帰りたくない。もう止めよう。もう戻れない。そう思いながら、塩辛いハムをビールでなだめて明日に備える。10月の夜。

花束とケーキとスパークリングワイン

 はっぴーばーすでぃ・とぅー・みー。

 36歳にして、とうとう自分で誕生石を買いました。
 ファイアーオパールと、ピンクトルマリン。そこはがんばって、どちらもピアスではあるけれど。

 いい年になって、若いこと恋愛はできる。でも、何かを与えてくれるのは、自分自身だ。そういう年齢。

 でもね、休みだってのにはたらく仕事場の仲間から、マキシム・ド・パリのケーキと秋の花束を。
 そしてボスから、定評のあるカヴァ・ロゼを。
 わかいボーイフレンドたちは、今日もきょうとて自由に遊んでいるようでした、とさ。

 酔っぱらいの、土曜の仕事場より。
 

朝の電話と雨のあとに

 年下の彼氏くんは、趣味の集まり(ってのもオールドスタイルな表現か)で出かけていた土曜。さんざん誘われたんだけど、結局気が乗らずじまい。彼をとりまく環境ともうまくつきあえるのが大人だとは思うけど、ある程度年が離れるときついね。毎週会ってる友達なら、まだ少しずつ歩み寄れるんだけど、たまに会う趣味の仲間とは、どんな距離感で話せばいいのやら。

 じつは七つを越えて離れた彼氏くんとも、ときどき話が合わなくて、愕然とする昨今。本当は、世代差だけじゃなく、生育環境の差もあるんじゃないかと思うけど……なにはともあれ、細かなすれ違いが続く。世間じゃこれを、価値観の違いとか、見ているものが違いすぎるから、とかいうのかな。さみしい。

 そんなことを考えている間に、
 同居人くんとはだいぶ仲良くなった。深夜の電話は、明るくなるころようやく終わる。つきあいはじめの二人みたいに、他愛ない日常の話から、ちょっとまじめな相談まで。かれは相手にリードされたいタイプだから、年上で安定して見える私に惹かれてる。その期待を裏切らない限り、穏やかな関係はつづくだろう。

 来年の夏に、彼らの部屋の更新時期が来る。継続か、解散か……ふたりの意見は、いまのところバラバラ。いろいろ事情が絡み合って、ギリギリまで悩みそう。
 解散したら、彼氏くんは実家に戻るだろう。別に、仕事場まで通えない距離じゃない。ちょっと遠いけど。今ほど会えなくなるかもしれないけれど。そして、同居人君は、たぶん現在地の近くに部屋を探すだろう。友達も多いし。実家は遠いし。

 今以上に会えなくなる人と、どうしたら気持ちを繋いでおけるだろう。もう、そんな心配をする。一緒に住めばいいって? そうもいかない事情もあってね。

こおろぎの音の聞こえる夜

 たぶん、部屋が狭いのがいけないんだ。そう考えれば、多少なりとも見通しは明るい。

 いつからか、人が居る日は眠れなくなった。テレビ見てたり、おしゃべりしたりしている間はいいけれど、灯りを消して休む段になるとなんだか胸がくるしくなる。腕まくらにあこがれて、昔はよくねだった筈だけど、今はまったく心惹かれない。薄暗がりのなかで静かな寝息が聞こえるころ、わたしは水槽につめこまれすぎた金魚のように、息がうまく吸えずにぱくぱく口を開けたり閉めたりしてもがく。

 遡って思い出してみると、そういや歴代の隣の人はいつも寝不足だったっけ。寝てないの、って聞くと、たいていみんな頷いた。眠れない、って云ってた気がする。そうか、誰もが起きていたから、自分は何不自由なくスイッチを落とせていたんだ。

 今の部屋は、とても狭いワンルーム。シングルの布団1客、まともに敷くことができずにちょいと折り返す床面積のなさ。そんな場所でも、ぐったりつかれた年下のきみは、安心した顔でのびたり縮んだりまるまったりするから、わたしはその寝顔をときおり見ながら、部屋の隅に座りこむ。いたむ胸を押さえて、つぶれるのどを暖めて。いっしょにぐーすか眠りたい。そんなささやかな夢は、なぜかなわないんだろう。

仕事がゆるやかな季節には

 しましまに、違う人と出かける日が続く。
 新しいカフェを試したり、CDショップをのぞいたり、本屋で肩が抜けるくらい買い物したり、フリーツアーのパンフレットをながめたり、カフェラテ片手に交差点を観察したり、雨の繁華街を散策したり、肩を寄せ合って眠ったり。毎日それなりに楽しい日々。喜ばれる時間。

 ある日あるとき。つないだ手をいっぱいに伸ばしていたら、ぼくにしてほしいことはない? と訊かれた。ないよ、と応える私。だから不安になるんだ……と時の彼。ぼくがいても居なくてもいいの、と。

 ほかの誰でもない自分、を求めてほしいという欲求が、普遍的なものなのは知ってる。自分を、必要とされることのうれしさも。でもね、ほんとにないんだ、隣に立つ相手に望むことって。あるがままの姿を愛する。生き方をめでる。どこからか通ってくる猫のように、来て甘えるのもかまわない。いなくなるのも、きみの勝手。その光景に、こちらはただ癒されるだけ。

 そんなの、つきあっているとは云わない? 

 だけど、逢いたいって夜中の3時にタクシー飛ばして、ついたさきで些細なことから口論になって、包丁を振り回されるほうがいいの、きみは。わたしの願いは時として急で、難易度が高く、そのくせ感謝されないひどいものだよ。そしてそれは、じぶんでも制御できない。なんでもないときに訊かれたって、答えられない衝動としての、ねがい。

休暇はやっぱり強行軍に

 みんなで貸別荘で遊ぶぞー、食べるぞー、呑むぞーと夢見ていた先週末。やっぱり金曜日も土曜日も休めなかった。正確には、金曜夜から日曜朝まで泊まりこみ。いったん帰って、午後からまたきて朝のつづき。そして、ようやく、日曜日の夜。まぁまぁ仕事も一段落して、ちょっとだけでもれっつごー。

 かくして台風由来の雨の中、先輩の車に便乗して都をあとにします。先発組がだるだるくつろぐ、貸別荘へごー。

 雨は、はげしくなるばかり。運転代わります? なんて、とても云えないBad Condition。それでもいいタイムで現地に滑りこみ、おいしいつまみとビールをもらってさっそく話に加わります。
 
 朝まであそんで、掃除とごはんに協力し、ばたばたしてるともうチェックアウトタイム。ほんとは温泉でも行こうなんて話してたんだけど、あまりの雨にくじける一同。ばいばいまたね、と手を振って、三々五々帰途につきます。自分も、ふたたび車に席を確保して。

 滞在時間、だいだい9時間。とはいえ密度の高いあそびじかん。そのまま帰りにアウトレットモールに寄って、これまた駆け足でお買い物。連休帰りの渋滞を避けて、三時前には無事帰ってきたのでした。

 24時間もたってないんだけど……なんだかずいぶん、遠くに行ってたような気がした。移動距離って、重要なのかもね。
 

徹夜明けの街は海のそこ

 明け方まではたらいて、どんよりちょっと仮眠して、通勤時間のはじまりがけにいったん帰る。ほどよい湿度の9月の空は、つめたい秋の海のよう。砂地のエイになった気分で、ひらべったく駅にむかう。

 駅前のバスターミナルには、ほうぼうにまだ眠そうな人の列。そのうちのひとつに並んで、こちらも次の便をまつ。主要路線をはずれたうちのバスは、一本逃すと20分は次がこない。ぼんやりたたずむ自分の隣を、他路線のバスがゆったり通り過ぎていく。何台も、何台も。

 くじらって、ちょうどバスくらいの大きさかな。

 いちどそう思ったら、どれもこれも、クジラにしか見えなくなった。ロータリーをくるりと回って、方々に泳いでいくクジラたち。あいだを縫って、小さい魚たちも過ぎてゆく。潮の香り。緑がかった泡だつ水とやわらかな太陽。うちのクジラはまだかいな。

 眠い朝は、ときどき街にフィルタがかかる。今日は海。

風邪をひくのはいつだって遠足の前

 まとまった休みもとらずに、たんたんと働いていた夏。その分おもいきり遊ぶべく、今週末はみんなで貸別荘にお泊まり。呑むぞー、遊ぶぞー、しゃべるぞーと今から期待しているものの、なんだかのどの調子がよろしくない。

 思い返してみれば、旅行以外はほとんど皆勤賞だった自分が、熱で学校を休むのはいつもイベントの前だった。小学校のキャンプ、中学校の修学旅行、それから、それから。そういや去年の秋でさえ、旅立つ前の週はのどガラガラだった。でかけてなにか食べるたび、薬を飲んでいたんだっけ。

 そうはいっても、気は心。のどがひっかかるなんて気のせい。風邪なんか聞いたこともない。そう自分に言い聞かせてたら、心優しい同僚から「もしかして風邪? 流行ってるからね……」なんて声かけられた。気遣いありがと、でもごめん。今日のところは、耳をぺたんと閉じさせて。意思の力で勝つために。

長電話は好きですか

 年下の彼氏くんには、ふたつ違いの同居人がいる。同性なのに、これが仲が良くて。あまりに気になったので、なるべく間に割って入り、よく話を聞いて、こちらもだいぶ親しくなった。日曜日に待ち合わせて、三人で鍋をつついたり、呑みにいったりするのは悪くなかった。彼氏くんが忙しくて会えないときに、遊びにいくのだって害はないと思ってた。

 時は流れて、気づいたら双方から「おやすみなさいの電話」がくるようになった。仕事柄、帰るのはたいてい25時過ぎになるのだが、それから順番に、ケータイが鳴る。彼氏くんとひととおり話して、おやすみって切って、ごろりと転がると次のベル。バトンでも渡してるんじゃないかといわんばかりのタイミング。そして、さらに他愛もない話が続く。

 それはともかく、自他ともに認める長電話好きとしては、まるでロケット鉛筆の芯を繰り出すみたいに着電がつづくと、なかなか眠れないらしい。ひとつの芯がすり減って、交替するまでに約30分。ふたつめの芯は、たいてい粘り強くて1時間はがんばる。

 ぐったり疲れて枕を抱えるころ、外は新聞配達の時間に切りかわる。白んでいく空をみながら、いつまで変わらずいられるのだろう、と考えながら枕を抱えてねむらんとする。

恋してる! って云ってみたい

 どういう因果か、語られざる恋ばかりしている。
 
 職場恋愛はおおっぴらにできないもの、とか、相手に家族がいると都合が悪いでしょ、とか、その都度理由はあるけれど、結果として公表できないことだらけ。かくして、ここ15年ばかり恋人はいないことになってる。誰に聞かれても、笑顔で首を傾げるわたし。そんなこと聞くなよ、という念をこめて。

 ごくまれに「彼氏いるんです」と答えるのは、街や店でしつこく口説かれたとき。通りすがりのおじさんに、呑みにいこうと誘われたとき。わたしを「人間・女」としてしか認識しない人に会ったときだけ、真実を明かすのだ。へんなの。

 一度くらいは、この人とおつきあいしております、と公表してみたい。きっと、ずっと先のことだけど。今の相手も、今じゃだめだ。お互いのためにならないと、みんながため息つく姿が目に浮かぶもの。