仕事がゆるやかな季節には | 現実なんてこんなもの

仕事がゆるやかな季節には

 しましまに、違う人と出かける日が続く。
 新しいカフェを試したり、CDショップをのぞいたり、本屋で肩が抜けるくらい買い物したり、フリーツアーのパンフレットをながめたり、カフェラテ片手に交差点を観察したり、雨の繁華街を散策したり、肩を寄せ合って眠ったり。毎日それなりに楽しい日々。喜ばれる時間。

 ある日あるとき。つないだ手をいっぱいに伸ばしていたら、ぼくにしてほしいことはない? と訊かれた。ないよ、と応える私。だから不安になるんだ……と時の彼。ぼくがいても居なくてもいいの、と。

 ほかの誰でもない自分、を求めてほしいという欲求が、普遍的なものなのは知ってる。自分を、必要とされることのうれしさも。でもね、ほんとにないんだ、隣に立つ相手に望むことって。あるがままの姿を愛する。生き方をめでる。どこからか通ってくる猫のように、来て甘えるのもかまわない。いなくなるのも、きみの勝手。その光景に、こちらはただ癒されるだけ。

 そんなの、つきあっているとは云わない? 

 だけど、逢いたいって夜中の3時にタクシー飛ばして、ついたさきで些細なことから口論になって、包丁を振り回されるほうがいいの、きみは。わたしの願いは時として急で、難易度が高く、そのくせ感謝されないひどいものだよ。そしてそれは、じぶんでも制御できない。なんでもないときに訊かれたって、答えられない衝動としての、ねがい。